こんなことを書くと叱られてしまいそうだが、私は
<人口の一定割合以上の人が免疫を持つと、感染患者が出ても、他の人に感染しにくくなることで、感染症が流行しなくなる状態のことです。©︎ 厚労省>
という「集団免疫」の効果を、あまり信じていない。科学文明を否定するつもりは毛頭ないのだけども、なんだか出来の悪いSF小説みたいだ、と思ってしまうのだ。
ワクチン接種を済ませた/済ませないで、差別が起きる現象もまた、出来損ないのSFのようだ。誰かが、ワクチン接種を拒否できない社会の風潮は現代の赤紙に等しいとつぶやいていて、それとこれとを一緒くたにするのは違うだろ、と思いつつも、そう言いたくなる気分は否定しがたい。
来月上旬、私もついに集団接種の対象になった。職場の性質上、行政が優先したのだから、ワクチン注射したくありませんとは、なかなか言いにくい。
その報せがメールで届いたとき、ちょうど私はこんな番組を観ていた。
その番組では、ナチスドイツに協力した科学者たちを五例あげていた。アスペルガー症候群を研究した医師アスペルガーも、優生学の名の下に断種の選別を行い、教育するに値しないと判断した子どもたちを施設に送り、安楽死させるという人道に悖る行為に加担していた。発見された資料には、子どもたちの死因はいずれも肺炎(Lungenentzündung)と記されていた。
肺炎。
じつは私の家族(後期高齢者)も先日ワクチンを接種した。するとその夜、38.6°の高熱を発し、白血球も10000を越えた。レントゲン写真には肺炎の兆候である白い翳りがはっきりと映っていた。が、主治医は、今回の肺炎とワクチン接種に関係はないと断言した(幸い、その後は小康を保ってはいるが)。
私も基礎疾患がある。
10年前にかかった尋常性乾癬(免疫の異常亢進による皮膚病)が、最近またぶり返しており、足裏の皮の剥がれが甚だしい。しかも、今春からは血圧降下剤を服用中である(にもかかわらず、高いときは150まで達することがたびたびだ)。
追記;2021年当時84kgあった体重は現在76kg。血圧降下剤はしばらくして服用をやめたが、最近は130アンダーで安定している。2023/05/08
それで心配にならないほうがおかしい。私は、正直言ってワクチン注射を打つのが怖い。副作用があるのではないかと邪気をまわしてしまう。
「血栓」の二文字を見ると、ドキッとするし、「アナフィラキシー」の字面を見ても心拍数がバクバク上がる。我ながら滑稽だと思うが、精神状態が良好だとはとても言えない。ワクチン接種への不安をどうしても払拭できないでいる。
私が「肺炎」の二文字に過剰反応したのには、それなりの理由があるのだ。
しかし、私はもう「接種する」と決めている。それは職制ゆえの義務感が大半で、私が免疫を獲得することで新型コロナウイルスの脅威がわずかでも軽減するのなら喜んで受けましょうという、あきらめにも似た“滅私”の心情から、だ。仮令ワクチンの効用が無きに等しいとしても、私は接種する。この「根拠なき」ワクチンフォビアに気が滅入りながらも。
あゝやっぱり、赤紙みたいだな。今様の赤紙だ、との比喩は外れていないよ。私はいま戦時下にいる。陳腐なSF小説、いやスラップスティック的な状況のニッポン。その認識、間違っているかしら?
例によって、Twitterでは書けないことを縷々綴ってしまった。Mediumではわりと正直になれる。鰯 (Sardine) 2021/06/27
【追記】
こういう一面広告を朝から見るにつけ、《人の気も知らないで…》と感じてしまう。『打たないという選択肢はあり得ない』と言っているも同然の、政府広報。
そして、こういう光景を目の当たりにするたびに、私は、全国民がワクチンを接種することで集団免疫が達成される、という「神話」に加担することの虚しさを覚える。なんだか、すべてが壮大な絵空事に思えてならないのだ。(2021/06/27 午後)