岩下 啓亮
4 min readMay 19, 2020

昨夜つらつらと考えたこと

“ツイッター世論”政権直撃 検察庁法改正案見送り【毎日】という記事の末尾に、

<だが政治家がネット世論ばかりを気にするようになれば、合理的でないような政治判断がなされる可能性もある>

という、西田亮介・東京工業大学准教授(社会学)のコメントが載っていた。

私はこれに、

<世論を無視することが合理的な政治判断につながるというのかね?>

という意見を添えてツイートを投稿した。

しばらくして、拙ツイートを引用した形でご本人が断りを述べているのを知った。

<「効果的な政策と民意が合致しないことがあり、『耳を傾けすぎる政府』にもリスクがある」と述べているわけですが、当然のことながら「世論を無視することが合理的な政治判断に繋がる」という主張をしているわけではありません。>

あゝ私もいささか早計だったかなと反省し、次の返信をしたためた。

<国民の負託に応えるべき政治家が独断専行に走るのでは、との危機意識ゆえ、牽強付会に解釈しましたことをお詫び申しあげます。>

私は西田氏のコメントを深読みしすぎた。ただ、構成上のことかもしれないが、記事の最後が「衆愚政治への警告」で締めくくられている気配を感じ、そこが気になったのだ。

私は、ポピュリズムと呼ばれようが、政治家は、もっと民の声に、耳を傾けるべきだと思う。

民意は、ときに合理的とはいえない、より情緒的な選択を政治に求めるかもしれない。大衆の意識にいちいち左右されるような政治では、適切な判断が遮られる結果になるかもしれない。しかし、それが迂遠で、賢くない判断であるにしても、民意は反映されなくてはならない。極論すれば、政治は合理的であってはならないものだとも、私は思う。

合理化を究めるために、優秀な官僚や有識者や専門家だけで国をデザインすれば良いという考えが成り立つかもしれない。「選良」とは一般的に代議士を指すが、今の代議士は選良と呼ぶには程遠い。だがだからといって、「そこにヒトモノカネを注ぎこむ」式のスーパーエリートたちに国の行方を任せるわけにはいかない。詳しくは述べないが、「専門家会議」が社会をいかに危ない方向へ導くかを、私たちはこの数ヶ月で身をもって経験したばかりではないか。

閑話休題。

なぜ、政治は選挙というプロセスを経るのか。当選後、議員が職責を果たしているのかを監視するのは、むしろ有権者の責務ではないか。政治が、国民の意見を無視し、専横に走っていると感じたなら、それは違う、おかしいと声をあげなくてはならない。

それが、民主主義の本来あるべき姿ではないのか?

今回、検察庁法の改正を瀬戸際で食い止めたのは、成功体験ではない。現政権が国会での審議を蔑ろにし、閣議決定を乱発し、国民の納得できる説明を果たせなかったことへの、当然の抗議にすぎない。

私たちは依然、瀬戸際に立たされている。

江川紹子氏などにも感じることだが、世にオピニオンリーダーと目される識者は(片言隻句を取りざたされるご苦労もおありだろうが)、民を教導することに精力を注ぐよりも時の権力に対しての注文に尽力してほしい。

大衆は暴走するものではない。意外と冷静に推移を見守り、どのへんが合理的な落とし所であるか、見極められる理性を持っている。束の間かもしれないが、スクリーン・スポーツ・セックスという3Sの支配から解き放されたコロナの時代は、目くらましや鼻薬の効かない、政治へのまなざしが注がれる時代でもあるのだ。

鰯 (Sardine) 2020/05/20

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Written by 岩下 啓亮

鰯です。熊本在住。イワシ(Sardine)とお呼びください。Mediumを日本語と英語の練習帖として活用しようと思う。Medium以外では、こちらを回遊しています。Twitter → @iwashi_dokuhaku はてなブログ『鰯の独白』→ kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

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