鬼滅の刃のポスターをみていた坊やが吐き捨てるようにいった。
「ハン、何が『鬼滅の刃』だ。『ワンピース』のほうが、ずっといいよ」
「あら、坊やは『鬼滅』きらいなの?」
「嫌いというか、意味がわからないです」
「『ワンピース』のほうが好きなのね?」
「だって『ワンピース』のほうが、ずっと凄いですよ」
私は、そのやりとりの一部始終を聞いていないが、聞いていたら、口を挟んだかもしれない。以下は想像。
「『鬼滅の刃』のどこが嫌いか、説明してくれないか」
「へえ、鰯さんは『鬼滅』のほうが好きなんだ」
「そうは言っていない。ただね、坊やがそれほど言い張る理由が知りたいと思ってね。二つを比較するからには、何か理由があるんだろうな。
質問を変えてみよう。『ワンピース』のどこが、『鬼滅』より優れていると思っているのかな?」
「どこが、って、断然おもしろいから」
「うん、だから坊やは、『ワンピース』のおもしろさを説明すればいいんだよ。
どこがおもしろいの」
「鰯さんは、『ワンピース』が嫌いなんですね」
「違うよ。きみの意見がしりたいんだ」
「どこがおもしろいかって、……ぜんぶですよ」
「ぜんぶ? もうちょっと具体的に説明できないかな。ルフィと仲間たちの友情に結ばれた絆が、とか、ナミさんの肢体が魅力的だから、とか、いろいろあるだろう?」
「案外、詳しいじゃないですか」
「まぜっ返すなよ。あるいは、今でこそ『鬼滅の刃』がコミックス売り上げのトップだけど、それまで10年近くも『ワンピース』は一位を独走しており他の追随を許さなかった。だから、その業績に敬意を評すべき、だとか」
「あー、そうなんですか」
「きみが『ワンピース』が『鬼滅の刃』よりも優れていると思える理由を、他人にも分かるように説明できないと、『ワンピースのほうが凄いですよ』という感想に説得力がうまれない。たんなる“憎まれ口”にしか聞こえないからね」
「でも、だって……」
「思いつきを口にする前によく考えてごらん。相手が納得するような説明が不足しているから、坊やの意見はいつも軽んじられるのさ。ここだけは譲れない、という一点があるのなら、その根拠を示すことだ。自分の領域をまもる、その熱意もみえないから、誰もまともに取りあわないんだよ」
……と、
ここまで書いて、徒労を覚えた。マンガの優劣とは違う、もっと大事な局面で、私は幾度も坊やに伝えた。
- もう少し考えようよ。
- 考えをまとめてみようよ。
- 自分の意見を説明してみてよ。
- 自分から提案したっていいんだよ。
と。
私たちは辛抱強く待っている。坊やが自分の意思で動きはじめることを。だけど彼は、毎度どこ吹く風だ。自分の行動に責任を持たないまま、ただ傍観している。
人から指図されるのを厭がるくせに、人から指図されないと動こうとしない。嫌々な態度でするやっつけ仕事に、彼なりの努力や創意工夫は皆無。だから人は次第に期待しなくなる。頼んでも無駄だと。
身の回りで起こっていることを、たとえ話にしてみたが、これ、今の日本列島に蔓延している、病理そのものではないか。
ときの首相はうそぶく、「説明できることとできないことがある」と。
これが通用する世の中だから、誰もまじめに説明しなくなる。なんだ説明しなくてもいいじゃん、と開き直りが横行するようになる。トップの姿勢は市井の意識に反映するのだよ、残念なことだけど。
鰯 (Sardine) 2020/11/01