一週間前のこと、私はある音楽会の裏方を担当した。
その際、アンサンブルのリズムが弱いとの理由から、私がベースを手伝うことになった。
ベースギターを弾く機会をいただいた。家の中で弾くのと(舞台裏でとはいえ)実際に人前で弾くのとでは大違いだ。けっこう緊張するし、身体がこわばっている。とにかく日曜日の本番は、気の利いたフレーズを聞かそうとは思わずに、他のパートとかみ合うよう、拍の頭を外さないことを心がけよう。
しかし、リハで弾くたびに楽しくてたのしくて。みんなの中で助っ人のオレがいちばん嬉しそうじゃん。あーベース弾くのむちゃくちゃおもしろい。もっと弾きたい。(Bluesky 12月13日の投稿より)
主催者は私がベースを弾けることを知らなかった。が、リハーサルで私が(楽しそうに)弾くのを聞いて、ステージの上で弾くようにうながした。
私は、それはおかしい、いたしませんと答えた。
前もってアナウンスがあるならともかく、老いた男性が急に表舞台に立つことなどあってはならないことだ、と固辞した。
それ以上に、私は目立ちたくなかった。
他の演奏者も、面目が潰れるだろう。面白くないに決まっている。
だから、ひっそりと、舞台の袖で弾いて、支えようと決めていたのだ。
私は裏方の一環として演奏を手伝った。
けれども少々、楽しみすぎていた。
どの写真も苦虫を噛みつぶしたような顔をしているが、じつは内心、嬉々として演奏していた。
それは当日、誰もが感じていたことだ。イワシさん楽しそうだねー、と冷やかされたものだ。
ベース弾かせてもらって嬉しかったのが、バレバレだったのだ。
昨日はもちろん上手くいった。本番よりもリハのほうがのびのびと弾けたけれども。はつらつとしたノリを提供して全体の底上げに寄与できたと自負している。あとは老体に鞭打って、駆けずり回ったよ。おかげでクタクタさ。(Bluesky 12月16日の投稿より)
写真は今日、私のメールボックスに送信されてきたものだ。こんな経験は二度とあるまいから、知人に撮影してもらったのだ。
つい嬉しくなった私は、その演奏会で鍵盤楽器を弾いていた方に、これらの写真をみせた。するとその方は、「先週のことなのに、もうずいぶん昔のことのように思える」といった。
「どれもこれも険しい顔をしている」と。
「写真を見るまですっかり忘れてた」ともいった。
要するに、思いだしたくないという気持ちを、しらけた口調で遠回しに私に伝えていたのだ。
私は、自分ひとりはしゃいでいることに、ようやく気づかされた。
ほんとうは人一倍目立ちたかったのだ。
私が、けっこう弾けるところを、誰かれに認めてもらいたかったのだ。
黒子に徹するべきが黒子にもなりえず、裏方といいつつ主役のような振舞いをしていた。
つまり私は、自分の承認欲求を、全員に見透かされていたのである。
滑稽だ。あゝ恥ずかしい。
まぁそういいながらも、こうしてネット上に画像を載せ、恥の上塗りをしている私。
いい歳こいて莫迦だなあ、と自分でも思うよ。鰯 (Sardine) 2024/12/20