じつは先日の東京マラソン開催に怒りがおさまらないでいる。走っている方を悪く思いたくはないのだが、スタート前後の大混雑の模様を見るたび、釈然としないものを感じる。検査数を抑える一方で大規模イヴェントを強行するという矛盾を平然としてのける小池百合子都知事は笑顔でスターターを務めたが、
都内だけでもまだ一万あまりの人が感染しているなか、よくも楽しげにふるまえるものだ。喉元過ぎれば熱さを忘れるどころか、喉元に引っかかったままだというのに、なにを浮かれているのだろう。
そして政府は、まん延防止等重点における措置大規模イヴェントの人数制限を撤廃する方針を固めた、という。
これまではイヴェントの上限撤廃には全員検査が必要だったがそれも不要とする、と。学校で陽性者が出たら即座に休校するのに。文科省に濃厚接触者への検査体制を整えるつもりは毛頭なく(先日の末松文科相のしどろもどろ答弁を見たまえ)すべてなし崩しに進んでいく。イヴェント優先、公教育を後回しで。
私たちは今、平行世界に生きている。テレビが楽しげにイヴェントに興じる人々を映しだす一方で、15分以内の黙食を大人しく守る子どもたちがいる。チェルノブイリが電源喪失しそうな状況下で、原発再稼働を決断すべきだと平然と言い放つ玉木雄一郎がいる。矛盾は幾重にも折り重なり、しかし交わることはない。
サステナブルな社会を目指すというなら、原子力発電という脆弱なシステムから脱却しなければならない。エネルギー自給率を高めたいなら、化石燃料に頼らない再生可能エネルギーへ速やかに移行しなければならない。リスクを軽減すると同時にコストを削減するエネルギー政策の転換は待ったなしの状況だ。
同時に、食料自給率を高める施策を講じなければならない。政治がなすべきは、これからの国は何を主幹として生き延びていくのかを示すことだ。電気・ガス・水道といった生活インフラを整え、交通や通信の不足や不備を解消し、誰も餓えることなく、文化的な生活を営めるよう努めるのが、国の役割である。
話が大きくなってしまったが、私たちが暮らすにおいて政治に期待するのは、生活の基盤を守ることだ。大規模なイヴェントや刹那的なアミューズメントで大衆の感性を麻痺させるに血道をあげるよりも、もっと真摯に、生命の根幹に向き合ってほしいのだ。今の政治は小さい。小手先の誤魔化しはもうヤメろ。
※この記事はTwitterにおけるスレッド(7つの連続ツイート)をThread Reader App に読み込ませ、それをまた転載した。
鰯 (Sardine) 2022/03/10