12/30 toot.blueで削除した3トゥート(500×3=1500文字+α)転載

岩下 啓亮
Dec 30, 2022

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昨日12/29の朝NHK BS1で、『声は届くのか〜秘蔵フィルムが映し出す1969新宿西口地下広場〜』(初回は11月26日)の再々放送があったので、観ていた。

<ベトナム戦争に反対する若者たちが新宿駅の西口地下広場に集い反戦ソングを歌った一大ムーブメント「フォークゲリラ」。番組が入手した映像には、7千人の群衆の歌声や討論など見る者を圧倒する熱気が記録されていた。この貴重な映像をベースに当時現場に居合わせた人たちを取材。若者たちの「声」は今の時代にどのように届いているのか?1969年のフィルムとそこに登場する人たちの2022年の姿が交錯するドキュメンタリー>で、吉岡忍氏をはじめ、盛田隆二氏、大木晴子氏ほか数名が同時の情況を語るという構成だった。

途中から全共斗のヘルメットをかぶった学生たちが参加するようになって、集会の様相が次第に変化していく。それらを過激派とみなす警察はついに機動隊を動員、逮捕者が出、フォークゲリラは解散を余儀なくされる。

このプロセスをみて私は、なぜ山本太郎とれいわ新選組が、立憲民主党や共産党のコアな支持者から嫌われるのかが、遅まきながら理解できたような気がした。

彼らからしてみれば、山本の応援演説は選挙の規を超えたもので、党勢拡大に利用しているように映ったのだろうな、これまでの自分たちの地道な活動が荒らされたように感じたのだろうな、と。気持ちはわかる。実際に無礼なふるまいが「れ新」のサポーターにあったのかもしれない。ならばかつての極左と重なってみえるのも詮ないことなのかもしれない。

だけど、それは偏見だと(れいわオーナーズである)私は思う。れいわ新選組のうち出す路線が、かつての野党のそれと違うのは当然で、独自性がなければ山本が新たに党を立ちあげる必要もないわけだし、今までの野党にどうしても相容れないものを感じていた人たちがれいわに期待を寄せているわけだから。それに違和感を覚えるのなら、れいわとは違った方法で、党なり候補者なりをアピールすればいい。現に参院選の東京では、山添拓が見事にやってのけたではないか。山本太郎を上回る票数を獲得できたのはなぜか、既存の政党こそ分析を急ぐ必要があるのではなかろうか。

フォークゲリラの話に戻る。

フォークゲリラの若者たちは、自分たち以外の他者=違った価値観を持つ人たちに向かって、懸命に語りかけていた。勤め人に学生の道楽みたいに思われようと理想論だと笑われようと、このままの社会でいいのかを、めげずに問いかけていた。そこは学ぶべき姿勢ではないか。自分と違う立場の人を排除するのではなく理解させること。言うのは簡単だが行うのは難しい。だが他者説得を回避しているようでは、次もまた次も負け続けるだけだ。もう閉塞するのはやめにしよう。来年が「新しい戦前になる」のならなおさら、それを食いとめる意志のあるもの同士で連帯しあわなけりゃならない。

長くなった。最後に以前Mediumに書いた記事を貼っておく。以下に引用した

新宿西口で「アベ政治を許さない」ポスターを置いて、みんなでフォークソングを合唱しているご老人たちがいたけど、あれはキツイ。街宣右翼よりもキツイ

に顕著な社会運動への忌避感や冷笑の態度を、とくに私のような遅れてきた世代は、克服しなければならないと感じている。

①から③までを投稿したのち、

読むのに難儀な文章を、自分が書いてしまっては世話ないな。お目汚しスミマセン。でも、できれば②を飛ばさないでほしいな。そこがむしろ肝心な箇所なんだから、①と③だけだと誤読されそうだ。

と但し書きをつけた。

さて、

特定の政治信条を開陳したつもりはないし、場を荒らす意図も毛頭なかったが、

toot.blueの穏やかな湖面に細波を起こしたのは他ならぬ私だ、と思い詰めた。

よって、マストドンに投稿した①〜③の連続トゥートおよび関連トゥート(返信を含む)を削除し、Mediumに転載した。

こういうときだけシェルターがわりに使ってMediumには申しわけなく思うが、私はもうTwitterには心理的に戻れないんだ。

鰯 (Sardine) 2022/12/30

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Written by 岩下 啓亮

鰯です。熊本在住。イワシ(Sardine)とお呼びください。Mediumを日本語と英語の練習帖として活用しようと思う。Medium以外では、こちらを回遊しています。Twitter → @iwashi_dokuhaku はてなブログ『鰯の独白』→ kp4323w3255b5t267.hatenablog.com

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