キミは突き崩せるだろうか?
テレビでは毎日のように新型コロナウイルス(COVID-19)の感染者数が発表されている。今日(4/4)も、東京では百人を超えたとか、私鉄駅員や警察官も発症したとか、有名無名を問わず、たくさんの人が得体の知れない、不可視の病にかかっている。
最前線で治療にあたる医療従事者には頭の下がる思いがする。私たち市民は、節度ある暮らしを心がけ、感染の拡大を自発的に食い止めなければならない。
建前はここまで。
4月になっても、本邦(日本のことです、念のため)の大半の社会人は、あい変らず満員電車に揺られ、職場へ向かい、いつものように職務を遂行する。本年度は既に始まっており、キミは年間計画に組みこまれたあれこれを片っ端からやっつけなくてはならない。しかし、
〈はて、これから日程どおりに、事が運ぶのだろうか?〉
脳裏を過った、かかる疑問を振り払いながら、キミは黙々と淡々と、準備したり処理したりしている。
そして昼休み、満員電車同様に他者と密接する社員食堂で、政治的なコメントを注意ぶかく避けながら、最近の世相についてを話し合う。いわく、
「マスク2枚を全世帯に支給、はさすがにケチだね」「休校の延長を要請、だそうだよ」「計画がめちゃくちゃになるよね」「美容室に行くのもためらっちゃう」「こんな世の中にしたコロナがにくいわ、まじで」等々。
ひとしきり語りあったあとは、またキミは仕事の続きにかかる。まるで明日も同じような日常が続くことを前提として。
誰かが咳やくしゃみをするたび、あの人ひょっとしたらコロナ? と訝しんだり、微熱がある・喉の奥が痛い・味覚や嗅覚が鈍いような気がして、自分の健康状態も怪しいものだと疑ってみたり、
思ったりするけど、キミは口にしない。
そんなことは口にできない。誰かが「調子が悪くっても検査を受けちゃダメだぞ、陽性反応だったらどうするの?」なーんてブラックな冗句を笑いながら言い放っていたけど、おそらくそれはホンネだ。
陽性反応が出たら、その会社やら地域やらのコミュニティは全滅だ。いや、実際は全滅などしないのだが、本邦の社会構造は「穢れ」を極端に嫌う。早い話が排斥する。
だから「検査してほしい」と考えてはダメなの、それは会社や地域に迷惑をかけることになるでしょ。それが世間ってものよ、身内なんだから大人しくしていてね。
自粛はつまり、自滅の方向へ向かう。お互いに自我を抑えながら、要らないことを言わないように相対し合う。すなわち相互監視の状態だ。
思惑は錯綜する。取引先の動向を探る。行政の出方をうかがう。突出は許されない。要請か強制かを見極めなくてはならない。此方の世間と彼方の世間の交わるところ。それが本邦社会のありようではないか。
〈国際社会には理解できないよね。この特殊事情は〉
This special situation will not be understood by the international community.
そしてキミは、一日の仕事の疲れを癒しに行きつけのバーへ向かう。自分にとって唯一の、気のおけない場所だ。
やはり、COVID-19の影響で客足は遠のいたという。イベント中止のあおりを受けて倒産してしまった仕出し弁当の会社やら、月に一日しか仕事がなかった会館の音響さんやら、景気のいい話はとんと聞かないねえとマスターは嘆息まじりにいう。
「自粛の要請で店を閉めなきゃならなくなるのかな?」
「要請じゃ、閉めないよ。強制力ないもん。緊急事態宣言が発令されたら、否応なしだろうけどさ」
キミはふと思う。
〈みんな、心の底で、政府の緊急事態宣言を待望しているんじゃないか。みずから判断できない国民が耐えきれなくなって、早く決断してくれという気運の高まりを見計らって、安倍政権は満を辞して発令するんじゃないか?〉
そんな妄想を振り払うように、キミは飲み干し、二杯めを注文し、違う話を持ちだした。
「もし、ぼくがPCR検査を受けて、陽性と判定されたら、やっぱり発症前の行動を尋ねられるんだろうか」
「そりゃあまあ、感染経路を突きとめる必要があるんだろうから、根掘り葉掘り訊かれるだろうね」
検査時のヒアリングで、このバーに通っていることを明らかにしたならば、陽性の反応があらわれた場合、営業を停止せざるを得なくなるだろう。〈隠すかもしれないな〉、そう考えつつも、キミはあえて正直に心情をぶつけてみた。
「だとすると、ぼくはこの店に週に一度通ってます、と白状しなくちゃならない。隠したい気持ちはやまやまなんだけど」
マスターは一瞬、真顔になったが、すぐさまいつもの笑顔に戻った。
「そのときはそのときさ。隠しだてせず正直に申告すりゃいいよ。ひょっとしたらウチが感染源になってるかもしれない。どんな可能性だって否定できない……」
マスターは棚から、古いレコード盤をとり出してかけた。
「世界中を覆うこの疫病が、いつ終息するのかは誰も分からない。分からないから、怖いんだよね? だけどもコロナの野郎が、人種の差も貧富の差も分け隔てなく平等に襲いかかっている状況下において、本当に頼れるのは国じゃなく、お互いに信頼し合える間柄の、仲間じゃないかとオレは思うんだ。こんな暇な夜にも来てくれるアンタみたいな客がいる。きれいごとに聞こえるかもしれないが、それは嬉しいことだよ」
つい先ごろ亡くなったビル・ウィザースの「リーン・オン・ミー」が流れる店内で、キミはちょっとだけ救われた気持ちになる。
問題は山積し、何も解決していない。けどキミの心の中で(時計の針が正午を指したときカチリと鳴るように)何かが変化したからだ。
隠さないでいよう。自分の気持ちも、自分の考えも、自分の経験も、自分の行動も。正直に表明したとき、自分の周りはどう変わるだろう? 厭われるかもしれないし、斥けられるかもしれないが、息をひそめて国の命令を待つなんてまっぴらだ。
そして、国が本邦特有の「言えない」社会構造を利用しているのだとするなら、なおさら。
黙らずに、声をあげよう。その声はどこかに届くはずだ。国境を超えて、言語の壁を超えて。絆だとか世帯だとかの“お上”にあてがわれた括りに縛られず、世間に遠慮せず所属に拘泥せず、おかしいことはおかしいと、率直に意見を表明してみよう。
“意見する”は、“秩序を乱す”と、同義ではないのだから。鰯 (Sardine) 2020/04/04