先日、南正人氏が亡くなったときに、こんなネット記事が話題になった。
つまり、こう申し上げるのも大変恐縮ではあるが、ほぼ知識がない状態、真っ新なままで南正人に触れたわけである。報道各社の見出しよろしく、漠然と“フォークシンガー”くらいのイメージしか持ち合わせていないことを、まずは包み隠さず申し上げておきたい(文中より抜粋)
正直と言えば正直かもしれないが、個人のブログではあるまいし、これはまずいのではないかと私は思った。例えば、音楽誌クロスビートの編集者は、<自分に書けない原稿は断る勇気も大切だと思う>と批判していた。同感である。
知らないのは恥ではない。が、訃報のあとに、「よく知らないんですが〜」と断りの入った記事が出されることにどれだけの意味があるだろう。それで新たなリスナーが獲得できたらいいじゃないかと考える向きもあろう。若手のライターによる新鮮な視点が対象となる物故シンガーソングライターに新たな魅力を加味するかもしれない。が、しかし、該当記事はそうではなかった。過去のデータをプリコラージュしただけの、内容の浅い記事だった。
かように故人の業績を回顧する文章はひじょうに注意を要する。熱心なファンの感情を逆なでする結果を招きかねない。先の指摘にもあったが、詳しくないのなら書かないほうがいい。それは追悼文に限ったことではないが、人の死に乗じて生半可な知識を開陳することは、厳に慎むべきだと思う。
例えば私は、日本歌謡界に多大な貢献をした作曲家、筒美京平氏の逝去について、何も言及しなかった。大勢の方々が氏の業績を語っていたし、つけ加えるべき意見を私は持ち合わせていなかった。が、何もコメントしなかった真意は他にある。
私は、筒美京平作品を、それほど好んでいないということに気づいたからだ。
同時期に亡くなった中村泰士やなかにし礼には、好きな曲や詞が幾つもあった。比べて筒美の作品に惹かれるものが殆どなかった。都節とソウルミュージックの混淆という洒脱なアイディアもあまり私の趣味ではなかったし(好きなのは、岩崎宏美の「未来」と桜田淳子の「リップスティック」くらいかな)、これ以上書くと悪口になってしまいそうだから、ここで止めておくが、ま、そういうわけだ。
さて、フィル・スペクターが亡くなった。
フィル・スペクターは、ポピュラー音楽の巨人であり、また、ロック界にとっても避けて通れない存在だった。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ラモーンズなど関係のあるバンドはもとより、ブルース・スプリングスティーンから大瀧詠一にいたるまで、その影響ははかり知れない。
むかし私は、“Back to Mono”という4枚組アルバムを持っていた。彼の手がけたレコード、栄光の数々が収められた、いわゆるバイブル的なベスト盤である。かなり熱心に聴きこんだ。
けれども、何度聴いても、心の底から好きにはなれなかった。彼の生み出した音響=ウォール・オヴ・サウンドを、世評ほど凄いとも思わなかった。リリース当時にリアルタイムで聞いたら衝撃だったのだろうな、と想像するしかなかった。ギターかピアノか判然としない音の塊は、輪郭の不明確な、曖昧模糊としたものに感じた。
私はこのことをずっと語らなかった。いち音楽ファンが、フィル・スペクターに興味が湧かないと宣言することにどれほどの意味があるだろう。皆無である。だから黙っていた。が、
訃報を知ったときに、そのことを書いておきたい、記しておくべきだと強く感じた。
案の定、誰も“いいね”をくれなかったが。私は、プロデューサーの仕事よりも、作家のテキストの方に興味が向かう性質だ、ということを言いたかったのだと思う。
考えてみれば、私はフィル・スペクターの代名詞とも言える“Be My Baby”を、良いと思ったことすら一度もないのだ。あのドン・ド・ドンが聞こえてくるたびに、ああまたか、と思う。「ハングリーハート」で、「さよならハリウッド」で、「サムデイ」で、「ホワット・アー・ユー・ドゥイング」でさんざん模倣されたリズムパターン。あれを聞くたびに、私は、どうして人はこんな単純なリズムに惹かれてしまうんだろう、と不思議な気持ちにさえなる。
今夜は何を書いているの、と傍らにいる妻が問う。ビーマイベイビーが好きじゃないということを書いていると私は答える。亡くなったからってあらためて書くことじゃないでしょ、と彼女はたしなめる。わかってる、でも書きたいんだ、こういう感情は覚えているうちに書き留めておくべきなんだよと私は意地をはる。
……いや、弔辞はほどほどにしておくべきだろう。
フィル・スペクターについての詳細な記事や研究書は山ほどある。東洋の片隅で鰯ひとりが異論を唱えようとも、その偉大な功績はびくともしないだろうし、墓碑銘には“To know him is to love him”と刻まれるはずだ。鰯 (Sardine) 2021/01/19
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