改元令下の本邦において令和を祝す“護憲派”もいる
昨日5/3は憲法記念日。各地で憲法集会が催された。NHK7時のニュースは「2019 平和といのちと人権を!5・3憲法集会」で、各野党の党首が壇上に揃った様子こそ映したが、有明防災公園(東京臨海広域防災公園)に集まった約6万5千人もの聴衆を映すことはなかった。
それはともかく、この憲法集会についての気になる記事を見かけた。
国民民主党の玉木雄一郎代表は3日、東京都内で開かれた護憲派集会で他の野党党首とともに「連帯の挨拶」を行ったが、聴衆のヤジにあった。/「令和初めての憲法記念日…」登壇した玉木氏がこう切り出すと、聴取から「令和って言うな!」「そうだ!」「令和はいらねえぞ!」などと怒声が飛んだ。/また、玉木氏が「皆さん、安倍晋三政権の最大の問題はなんだと思いますか」と話を振ると、ある聴衆は間髪入れずに「令和だ」と叫んだ。/玉木氏は、安倍首相が意欲を示す憲法9条への自衛隊明記などを批判したが、立憲民主党の枝野幸男代表や共産党の志位和夫委員長の挨拶に比べて拍手は少なめだった。
野党間の不協和音を面白おかしく揶揄することに血道をあげる産経新聞らしい意地悪な記事だと承知しつつも、私はこれを読んで暗い気持ちになった。
「令和って言うな!」
そう言いたくなる気持ちは痛いほど分かる。改元令下の10連休、マスメディアは令和礼賛の大合唱だった。「令和令和令和、いい加減もういいよ」と古谷経衡でなくとも嘆きたくなる。憲法集会の壇上で、玉木雄一郎が語りだしに「令和」を口にすればカチンとくる向きも少なくなかろう。いくら無邪気な玉木氏とて、そのくらいは想定したはずだ。
だが私は、玉木氏が「令和初めて」と切りだしたことを、不用意だとも不適切だとも思わない。それは私が自由党支持者で、自由党が合流した先である国民民主党の代表が玉木雄一郎氏だからひいき目に見ているわけでもない。玉木氏の国家観は以前とちっとも変わらない。<令和の時代が開けました。改めてこれまで永きにわたり国民のために祈り国民に寄り添っていただいた上皇陛下に感謝申し上げるととともに、新たに即位された天皇陛下の御世が平和で豊かな時代であることを心から祈ります(玉木雄一郎・5月1日のツイートより)>と国体を称揚する衒いのなさに、私的には違和感すら覚える。
が、しかし。だからといって。
玉木雄一郎および国民民主党を、護憲の立場ではないと決めつけるのであれば、それは大きな間違いである。下に掲げた【談話】を読んでみたまえ。どう斜めに読んでみても、護憲以外の何者でもないと思うのだが?
本日、72回目の憲法記念日を迎えました。/戦後、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という日本国憲法の三原則が広く国民に受け入れられ、我が国に自由と民主主義が定着したことを改めて誇りに思います。国民民主党は、令和の時代においても、この日本国憲法の三原則を着実に受け継いでまいります。/他方、現政権による便宜的・意図的な憲法解釈の変更は、憲法の規範性を弱め立憲主義に反するもので容認できません。また、公文書の隠ぺい、改ざん、廃棄は、国民の知る権利や議会制民主主義を根底から脅かす深刻な問題です。さらに、我が国の主権を必要以上に制限している日米地位協定は早急に改定すべきです。/国民民主党は、立憲主義を堅持し、国民と共に未来志向の憲法を議論していきます。まずは、憲法について国民的な議論を行う前提として、国民投票におけるCM広告規制、外国人からの寄附の禁止等の国民投票法の改正に取り組みます。その上で、未来志向の憲法を構想する観点から、地方自治の本旨や自衛権のあり方、解散権の制約、知る権利などについて議論を深めてまいります。
この談話と同様の内容を、玉木代表は壇上で語ったはずである。さて、この談話を読んでもなお、護憲派の諸君は玉木代表の国民民主党を仲間はずれにするんだろうか?
国民民主党は「改憲派」が少なくないという。こんな記事も見かけた。
たしかに、この記事には<首相周辺が照準を定めるのが、改憲に前向きな議員が多い国民民主党の存在だ>と書いてある。だが、この一部のみを引用して<残念ながら国民民主党は最後まで(自民党主導の改憲に)抗い切れない政党だ>と断ずるのはあまりにも短絡的なものの見方だと思う。そして、このような偏見の眼差しを国民民主党に向ける護憲派は意外なほど多い。彼らは国民民主党を民進党右派の集まりだとし、「旧民社・第二組合系」「隠れ自民」「野でも与でもない『ゆ』党」などと疎ましがる。だから「国民民主の唱える憲法遵守などしょせん上っ面だけのニセモノ」だと決めつける。しかし、おかしな話ではないか。積極的改憲論者なら(一般に民進党左派の集まりと目される)立憲民主党にも山尾志桜里氏をはじめとして少なからずいるし、朝日新聞の記事によれば、枝野幸男代表も昨年の憲法記念日のイベントにて、<「私は立憲的改憲論(の立場)であり、我々は護憲(政党)ではない」>と述べているではないか。国民民主党“のみ”がなにゆえ護憲派から敵視されるのか。
そして、この偏見の延長線上に、今回の「令和って言うな!」があるように思うのは穿ちすぎだろうか。私は、壇上の玉木代表に野次を飛ばした聴衆の気持ちが理解できないわけではない。けれども、令和という元号が否応なく惹起する「天皇制」(とその否定)を玉木個人に向けるのは、いささかお門違いではないか。彼は「令和だから改憲しましょう」と挑発したわけではない。「日本国憲法の三原則を着実に受け継いでいく」と言っている。改憲の可能性を含ませてはいるが、現政権下においての性急な改憲に明確なNO! を示している。ならば言下に否定せず、耳を傾けるべきではなかろうか。なぜならば「護憲」の精神は、なにも天皇制を否定する方々の独占所有物ではないからだ。さらに言うなら、
現行の天皇制を肯定し、令和を祝う人にも、日本国憲法を護りたい思いがある。
ことに思い巡らすべきだ。それはあなた方を支えるイデオロギーとはあきらかに違うだろうけれども、あなた方の生活範囲にもかならずいるはずだ。第1条があるから日本国憲法を遵守するという、保守思想の持ち主もいる。考えが違うからといって、他を排斥してはならない。それは「基本的人権の尊重」の原則から、もっとも離れた態度である。
件の産経記事には、さまざまな反応があった。支持率が1%を切った(時事通信調べ)政党にしては、注目度は意外と高い。私はMさんの、<こんなの見ると頑張って応援しよう!って思うさ>というツイートに呼応して、以下の返信をした。
<玉木代表も逆風を承知で登壇したでしょうが、こういう野次をとばすことが憲法集会の揚げ足を取りたい新聞に面白おかしく取りあげられることのマイナスを、教条的護憲派は想像できなかったのかな?令和を枕に語りだすことへの違和感は、ぼくも理解できますが、これでは狭量さを示したようにしか映りません。>
さらに李ひとみさんが、
<私は大きな意味での護憲派だし、安倍政権には憲法は絶対触ってほしくないけれど、「『令和』って言うな」は想像に容易すぎるカチカチ頭の護憲派の台詞なんだろうな。こういう姿勢が人を突き放し、私達を巻き添いに孤立させるんだよ。いい加減学んでくれよ。>
とツイートしていた。私の懸念するところが、ほとんど言い尽くされているように思えたので、これ以上の言及は控えたが、私宛の返信でMさんが、
<無党派層から見てどう映るかということに思い致さなければ野党共闘も意味をなしませんね。このような記事もその場にいなかった無党派層が読んだら理解不能でしょうね。つまり、野党全体のイメージを損なうということに繋がります。>
と追補していたことも含めて、護憲派は先鋭化した「護憲」意識を、少し外側から眺めてみる必要があるかもしれない。
私も現在の本邦全体を覆う「ゆるふわ全体主義」的な空気を息苦しく感じているけれども、世間一般からまるっきり遊離してしまっては、説得の手がかりさえも掴めなくなるんじゃないかと思う。令和になっておめでたいね、の雰囲気に迎合する必要はまったくないが、自民党が次々にくり出すイメージ戦略(例:天野喜孝に似ても似つかぬ安倍晋三の肖像画を描かせる等)に改憲の気運が醸成されつつある昨今、野党および野党支持者は理念の違いにこだわりすぎず、共通項を認めあい、引き算よりも足し算の「共闘」を果たさなければならないと考える。でなければ、護憲は絵に描いた餅に等しい。私も「憲法をいじるのはやめろ」の一人だから、あえて申しあげたい。かろうじて多数派である護憲派の、“頭数”を減らすのはカンベンしてくれよ、と。
BSフジの番組で反町理の無礼な口調に、小池晃書記局長の代わりに憤るチャイ(雄猫)。鰯 (Sardine) 2019/05/04