戦争は、おそろしい。
書いたはいいものの、これは違うな、と思って早々に引っ込めた意見を、ここに置いておく。
たとえば、
戦争を止められない理由の一つとして、軍隊の存在がある。兵隊はどんなに理不尽な任務でも、最高指揮官から燃やせ壊せ奪え滅ぼせと命令されたら、迷わず遂行しなければならない。上からの命令は絶対である。軍隊は人間性を剥奪する組織だ。世界中の国から軍隊がなくならないかぎり、戦争はなくならない。
と書いたのだが、これに続きがあった。
そして、社会には数えきれないほどの擬似軍隊が存在する。組織維持のための命令系統から逸脱しないよう、成文律と不文律が張り巡らされている、企業という名の軍隊モドキが。窮屈きわまりないその組織に、なぜかしら人は率先して入隊しようとする。揃いの軍服に自ら身を包み、一員であろうと私を滅する。
しかし、これはいくらなんでも言い過ぎだろうと思い直して、早々に削除した。
また、Spotifyで気になった音楽を、とりあえず気軽にフォローしていることについて、そのときのトレンドや流行りの傾向に左右されがちだと書いたうえで、
趣味嗜好は人にそれほど害を与えないけど。
考え方、とくに党派性がからんだものに対しては、傾注や固執しないように注意を払った方がいい。「ほんとうのところどうだか分からない」事象について自分の直感を頼りに突き進んでしまうのは、とても危うい。戦争の気運に同化してはならないのと同様、戦争の起因を自分好みにたぐり寄せてはならない。
一つの論を参考にするのはかまわないが、そこに自分の思いを重ね合わせてしまうと違うふうに誤解される。それが拡大解釈だってことにどうか気づいてほしい。さもなくば君たちを陰謀論者扱いした連中の思うつぼだし、ひいきの引き倒しにもなりかねない。論陣を張るなとは言わないが、ここは理性を働かせる局面だ。
と警告し、その上で、
とにかく。生半可な理解で、壬生浪よろしく気に食わないアカウントに突撃するのは止めてくれ。そんな鈍(なまくら)では返り討ちにあうだけだ。見ているこっちまで恥ずかしくなる。(れいわ新選組の)名折れとなる前に、まずは自問せよ。
と書いたのだった。
一部のれいわ新選組支持者がSNS上で悪目立ちしており、れいわの躍進を快く思っていないクラスタから「まともではない」と揶揄されていたからだ。
そこで、
どの党派にも極端な考え方の持ち主はいる。極端な思考も時には大切だけど、他との差異を明確にするために、わざわざ突飛な考えに固執する必要はない。私は(日本政府が)「ウクライナとともにある」とのぼせ上がるのも、「ネオナチ化を救うために介入する」との口実を認めるのも、どちらも同じくらい筋が悪いと思う。
戦争はおそろしい。戦争が始まった原因について、あるいは、戦争が止まない理由について、言及するつもりがなくても言及せざるをえなくなってしまうところが。その考えは極端だとたしなめると、「愚か者め」と罵られてしまう。互いの意見の違いを受け入れられなくなってしまうところが、まさに戦時下である。
陰謀論というレッテルを貼られてしまうのは、「これが真実である」と言い切ってしまうからだ。いくらそれを証明しようと躍起になっても、半信半疑を覆すために資料を積み重ねようとも、人の無知をあらためさせようとする傲慢さが、結果的に人を遠ざけてしまうのだ。
と書いた。しかし、この連続投稿も、無用なあつれきを生むばかりだと考え、削除してしまった。
私は、ロシアがウクライナを侵攻したことについて、確証たりうる証拠を持っていないし、認識が甘いことも自覚している。
しかし、ひとりの人間として、どこの組織にも属さぬ私は、今後も続けていくつもりだ。
戦争反対、No War! と表明することを。
なぜなら、言葉こそが私の持ちえる唯一の“武器”だから。
鰯 (Sardine) 2022/03/08