岩下 啓亮
Sep 18, 2018

反体制フォークはカッコ悪いか?

‪ずいぶん前に、東京国際フォーラムへボブ・ディランを観に行ったのね。となりの席に座ったおっちゃんが、まだ若僧だった私に、「公民権運動におけるディランの意義」を語りはじめて、ひじょうに困惑したことがある。本人が登場するとボビィ!って怒鳴るわ、アンコールで「風に吹かれて」が始まるとすすり泣くわ。

‪でも、今になってみると、あのおっちゃんの心境が分かるね。自分の生きた時代についてを誰かに伝えたかったんだろうな、と。ボブの社会的な影響よりも音楽の構造に興味が向いていた私だけど、あの日となりに座ったおっちゃんの、暑苦しい反戦フォーク運動の講釈が、けっきょくいちばん意識の隅に残っていたりする。

あれは、もう15年くらい前になるかしら。N区の勤労会館で、あるジャーナリストの講演会を聞きにいったとき、質疑応答が終わったあとで、主催者が歌詞をコピーした半紙を配って、白髪の長いお爺さんが古いガットギターをポロンポロンと搔き鳴らし始めた。すると会場に集った人がみんな歌いはじめた。そのとき私はちょっと居たたまれなくなった。歌を知らなかったばかりではなく、その突飛な展開に戸惑ったのね、なんで歌うの? って。

たぶん平河エリって政治ライターの方がツイートした理由も、あのとき私が感じた戸惑いに近いものだったのではないか、と推測する。

新宿西口で「アベ政治を許さない」ポスターを置いて、みんなでフォークソングを合唱しているご老人たちがいたけど、あれはキツイ。街宣右翼よりもキツイ。

私は日本におけるフォークの発祥に詳しくない。戦後うたごえ運動が興り、都会では歌声喫茶が流行り、やがて日音協が分裂し、一方では反戦フォークが社会派歌謡曲だと批判されつつも若者に支持され〜という一連の大まかな流れは何冊かの書籍で知っている。

しかしその知識は実感を伴わない。私の知るフォークの集い的なものは、上に記した講演会の一幕と、あとはそうだな、10代のころにちょっとかかわったコーヒーコーナー的な喫茶店の自主コンサートくらいだ。主催者の方が、宮城まり子みたいな語り口で、〽︎おーい山の子〜と、民話みたいな歌を歌っていたっけ。

あれも、痛かったな。私はすでにパンクロッカーの端くれだったからね。

なんとなくクリスタルな80年代に、フォークは既に時代遅れのジャンルだった。それは音楽性や使用楽器よりも、そういった類の音楽が媒体となる「場」が喪失われていったからだと思う。

上京して、ライブハウスに出るようになると『ぴあ』でスケジュールを確かめていた。例えば新宿ロフトだと、その頃はまだ(尖ったパンクやニューウェーブの狭間に必ず)森田童子や山崎ハコの名前が載っていた。イキがった私を含むバカ者もとい若者は、まだやってンのかよ暗い弾き語りをwと嗤っていたよ。

いま思えば、そっちを観とくべきだったと後悔しているけどね。

私がフォークソングを意識的に聞くようになったのは、冒頭に書いたディランを観てからだ。図書館でウディ・ガスリーやらピート・シーガーやらを聴いて、プロテストソングの源流に触れたり、あるいはブリティッシュトラッド・フォークの森に彷徨うようにもなった。英国の伝承歌には歴史の物語と庶民の暮らしが息づいている。ウォーターソンズの無伴奏を聴きながら、関連図書を読むと、英国におけるフォーク運動は、おもに共産党が後ろ盾になっていたことも知る。

また、ピート・シーガーの率いたウィーバーズは戦後アメリカの大衆に支持されたけれども、アメリカに吹き荒れた“赤狩り”の憂き目にあって活動の制限を余儀なくされたことも知れる。

まあ、そういう背景を知った上で聞くと(私の耳には)無味乾燥に聞こえていた歌どもに、具体的な陰影が伴ってくる。その歌が何故、当時の大衆の意識に浸透していったのか、想像をめぐらすことで歌詞に込められた意図が窺い知れる。

新宿西口で、フォークソングを歌っていたというツイートを見て、私はあの西武新宿線鷺ノ宮駅前の雨の日の情景を思い出すのだが、では彼らは、いったい何を歌っていたのだろう?

‬ 「祖国の山河に」?「原爆許すまじ」?「死んだ男の残したものは」?「自衛隊に入ろう」?「友よ」?「平和に生きる権利」?「さとうきび畑」?「一本の鉛筆」?あるいは「カリンカ」、それとも「パフ」?「イマジン」?「千の風に乗って」?え、まさか「花は咲く」?

わざと党派性をごっちゃにして書いたけれども。ねえ、いったい何を歌っていたのさ?

私はツイッターを眺めていて、ときどき、残酷だなあと思う。だって、その西口でフォークソングを歌っていたグループを、庇ったり支持したりする意見がほぼ皆無だったからね。冷たいな、世知辛いな。

なぜ、居たたまれなかったの一言で斥けるのさ?

私はリベラル左派に属する者であるが、そういうところがヒダリのダメなところだと思う(悔しいがジミンはそのへんの包摂が上手だぞ、少なくとも野党よりか数段上)。

いいじゃないか歌わせておけば。それがかりに青春の追憶をなぞっているだけにせよ、それを迷惑そうなまなざしで眺めることに、いったい何の意味がある?

ああいう連中と一緒にされてはかなわないとか、おまえナニサマのつもり?って言いたくなるね。

かりにそれが社会運動の足手まといに感じるとしても、だ、彼らをアップデートする“リソース”とやらが時間の無駄と思うにせよ、だ。それこそ、オルタナティヴを提示すりゃいいんじゃないか?SEALDsは一つの回答だったと思うが、ヒップホップが好みでないなら、それこそ自分たちの世代にぴったりの表現ジャンルを“持ちこめば”いいじゃないか。フォークったって、今様があるでしょうよ。あなたたちの好きな、オーガニックでハートフルな、2018年の連帯ソングを探すなり作るなりすればいいだけの話、だよ。

沖縄で玉城デニーさんがロックバンドを率いて、「見張り塔からずっと」「迷信」「スウィート・スウィート・サレンダー」の3曲をカヴァーしている映像を観た。(余談だけど、この3曲のチョイスには、明確なメッセージ性があるよね?)

同世代の私は、超有名ナンバーの選曲もあって、微笑ましく観たけれど、感想は各人あるだろう。こういう活動を軽いと感じ、県知事候補に相応しくないという堅物もいるだろうし、古くさいロックばっかじゃん、カッコ悪wと冷笑する若者もいるだろう。でもね、私はいいと思うんだ。効果があるとかないとか、団結の輪の中に入れるとか入れないとか、互いの欠点ばかりをあげつらい、“あり方”に心血を注ぐばかりでは早晩行き詰まるよ。お互いに自分らの正しさを主張し合ってるばかりではね。

やりたいことをやりたいようにやろうじゃないか。

あなたが今、時代遅れだな、カッコ悪いな、見ていて辛いな、一緒くたにされたくないな、と思っているような老いぼれに、いずれあなたもなってしまうのだから。

私はいま、ボブ・ディランのコンサートで、問題意識を持たなさそうな若者だった私に、「風に吹かれて」が公民権運動にはたした役割を力説していた、あの迷惑なおっちゃんのようでありたいと思ってる。彼はこう言った、

「残念ながら日本にプロテストソングは根づかなかった。ぼくらの構想した連帯は、儚くも砕けてしまった。だけどもきみ、一瞬だけだが行けるかな、ひょっとしてと思ったことがある。中津川で岡林(信康)が、『私たちの望むものは』を歌ったときだ。あれはまさに、奇跡のように、ぼくには思えたんだ……」。

結論:反戦フォーク迷惑論なんて‪くだらない。

「一つの時代と結婚したものは、次の時代では未亡人となる」だ。私なんか、回りまわって歌声喫茶なんかが復権すればおもしろいと思っている(経営が大変そうだけど)。好きなように集えばいいのさ、弦高高いガットギターを爪弾いて反戦歌やらロシア民謡やらピート・シーガーなんかを思う存分に。カッコよさの基準なんて、人それぞれだよ。

ぼくはわりとまじで、フォークソングによる連帯は今こそ求められるスタイルだと思ってる。アップデート試みるかい?鰯 (Sardine)2018/09/18

岩下 啓亮

鰯です。熊本在住。イワシ(Sardine)とお呼びください。Mediumを日本語と英語の練習帖として活用しようと思う。Medium以外では、こちらを回遊しています。Twitter → @iwashi_dokuhaku はてなブログ『鰯の独白』→ kp4323w3255b5t267.hatenablog.com