<匿名の安全圏から石を投げ続けるのはフェアではない>。気持ちは分かりますが、だからといって毎日新聞のような商業メディアが、匿名アカウントのツイートを無許可で記事に使用してもよい理はありません。ちなみに私は実名ですが、匿名=安全圏だとは露ほども思いません。匿名にもリスクはあります。(毎日の記者による<>の発言を引用した上での反論)
私は、SNSにおいて実名をさらしているが、いきがかり上でのことである。実名で出す意見が匿名のそれよりも価値があるとはみじんも思わない。むしろ、匿名だったころの思いきりが削がれ、無難な意見になっていると常日ごろ感じている。
何か心機一転をはかりたくなった。Twitterを開いた。私は今までの「イワシ タケ イスケ」というネット上を回遊する名前に終止符を打ちたくなった。本名で行こう。実名をさらそうじゃないか。誰に遠慮がいるものか! プロフィール欄に漢字で「岩下 啓亮」と記した。ついでに生年月日を詳らかにした。これで、現実の岩下啓亮とネット上のイワシさんの同一性が明らかになる。もやもやした気持ちが少し治った。
と意気込みを示しているが、実名に替えてはや4年、発言内容にたいした差はない。考えかたも変わらない。あたりまえだ。匿名の頃と人格が変わったわけではないのだから。
実名になって、実生活においての不都合を感じたこともない。たぶん今の職場でも私がツイッターで現政権を批判していることは薄々知られているはずだ。が、面と向かって注意忠告されたことはない。生活上のリスクは、むしろ匿名時代のほうが多かった。
前の記事にも書いたが、<この情報社会どうせ個人の特定は簡単可能な世の中なんだから>、匿名であるから安全だとは全く言えないのである。現に私とネット上で交流がある“きじにゃあ”氏なんか、ツイートがたまたまbuzzったため、毎日新聞に無許可で転載され、しかも情報が不正確であるとの烙印を押された。これぞリスクに他ならない、とんだ災難であろう(詳しくはコチラ↓。なお、件の記事はその後「有料記事」になった)。
大阪維新の会<ファクトチェッカー>が典型例だが、社会的にみて(政治家・企業などの)比較強者が(個人や市民や被害者などの、公の場での発言や行動が起こせない)比較弱者を相手どり、言論の封圧や威嚇を目的として行われる<ファクトチェック>が横行する現在は、匿名が安全圏だとは到底いえない状況である(※この内容は次回のエントリーに続く)。
確かに(愛知県知事リコールの住民投票と同じような手段の)アルバイトを雇って、国の政策を褒めそやす意見を大量に投下したり、政府の意向に沿わない意見を潰しにかかったりする、匿名アカウントを使った情報操作は、ぜったいに許されないことだ(最近も地上波で初めて放送された、総理を扱った映画に大量のサクラが動員されていた。内容がほぼ同じだから、すぐに分かる)。
が、そういった即席アカウントと一般の匿名アカウントを一緒くたにしてしまうような短絡的思考を、情報の担い手である新聞記者がしてしまうのは、まことに残念なことだ。署名記事が売りの毎日新聞記者氏は、<匿名の安全圏から石を投げ続けるのはフェアではない>と、匿名の意見をさも怪しげに扱うけれども、それは一種の偏見、固定観念ではないか。匿名の向こう側に血の通った人間がいるということも想像できないのだろうか。
ましてや、認証マークのついたような公式アカウントにしても、それがほんとうに本人と同一であるか、確かめるすべはないに等しいのである。仮に誰かが代筆していても、認証は認証だろ?
↑ このくたびれた顔した石原ノビテルみたいな鬱陶しい横髪のおっさんが、岩下啓亮本人だという保証は、どこにもないのだよ。
結論。
匿名/実名を問わず、不可避のリスクは誰にでもある。実名を名乗ることで、優越を覚えてはならない。匿名であろうと実名であろうと、一つのアカウントにはひとりの人格が宿っている。私はそのことを常に意識していたい。鰯 (Sardine) 2021/03/07