大阪維新の会の<ファクトチェッカー>は、「ファクトチェック」とも呼べないデマばかりの「スラップ行為」。市民からの正当な監視の目が怖いのか。公権力がこれをやった時点で信頼は地に落ちる。
このように、ファクトチェックがスラップだという意見がようやく現れたので、私は安堵した。
スラップ(SLAPP)とは何か。
社会的にみて(政治家・企業などの)比較強者が、(個人や市民や被害者などの公の場での発言や行動が起こせない)比較弱者を相手どり、言論の封圧や威嚇を目的として行われるもの(訴訟等)をいう。
公共の利益や社会的意義にかかわる問題提起への恫喝・威圧・批判的言論威嚇の目的で行われるSLAPP(Strategic Lawsuit Against Public Participation)は、「市民参加を排除するための戦略的訴訟」と訳せるが、政党や商業メディアによる強者ファクトチェックも、まさに平手打ち(slap)的な行為であるといえよう。
それが暴力だと認識されがたいけれど、言葉もスラップも恫喝に使われれば暴力だと思います。米国がアメと棍棒政策と云われたけど。今や日本はアメ無しの棍棒政策ばかりで、批判する者の排除を隠そうともしない。それに乗っかる冷笑者も加担し加害している認識が無いからね。(桃園凛さんからの返信)
「加害の意識がない」。比較強者によるファクトチェックの問題点は、まさにそこで、判定者は真偽検証を正義の行使だと錯覚しており、ためらいや反省はみじんもない。結果ファクトチェックは、SLAPPほんらいの語義である「市民参加を阻むための戦略的訴訟」と同じ効果をもたらす。そのことに自覚的であってほしいものだ。
大阪維新の会<ファクトチェッカー>がSLAPPの色彩を帯びていることに疑問をはさむ余地はないだろうが、私からは「その他のファクトチェックにも民意の萎縮効果を狙ったものが少なくない」という別角度からの視点を(維新批判とメディア批判を一緒くたにされたくない気持ちは重々承知の上で)今一度付言しておきたい。
マスコミは、自分らがやるべきファクトチェックを維新に取り上げられ、骨抜きの低俗なリンチの道具にされていることをもっと怒らなあかん(以下略)。
上のような意見をみかけるにつけ、おおむね同意する私だが、<ファクトチェックはマスコミがやるべき仕事>だという固定観念に囚われている方があまりにも多いような気がする。大阪府・市一元化条例があっさりと可決され、都構想住民投票の否決が踏みにじられようとしている今、大阪維新の横暴に抗う方々と無用な対立はしたくないので余計な口出しをするつもりはないのだが、ファクトチェックの矛先を権力側に向けず、比較弱者である市民側に向ける者は、なにも“お”維新に限らないことを少しは顧みてほしいのだ。
個人アカウント晒しの先鞭を付けたのはその自称国際基準を決めた団体(FIJ)のメディアパートナー(毎日新聞、アカウント名は隠しても個人ツイートを取り上げたのはバズフィードなど)で、一応維新に文句つけた団体事務局長で元産経新聞楊井氏も、維新による個人アカウント晒しはスルーしている。
個人アカウント晒しは、ネット空間でのキャラクターにダメージを与えるもので、これを発動させるということは、維新ほど露骨で自己都合でなくとも制裁の意味を帯びる。悪質なアカウントはともかく個人が思い思いに使っているツイッターで新聞社がそれをやることは適切なことなのか?(「本件の特殊性に鑑み」さんのツイートより)
ひょっとして左派リベラルの各位は、最近私が展開しているファクトチェック批判を<表現の自由戦士たちが、好き勝手にほざく権限を守るために「ポリコレ棒を振りかざすなw」と叫んでいるような愚行>と同一視しているのではないかしら?
万が一そうならば、それは違う誤解だと断っておきたい。また、その上で、
権力勾配を無視したマスコミによる真偽検証は、デマ拡散の防止よりも、市民の発言や批判を萎縮させる効果のほうがはるかに大きいことを、口酸っぱく指摘しておきたい。
ここに再度、その具体例↓を示しておく。
有料化された記事のPDFファイルをご覧になればお分かりになるだろうが、改めて思う、<ファクトチェック>はSLAPPである、と。
この件について、私はしぶといのだよ。
鰯 (Sardine) 2021/03/07