スチール100YEN
5月23日、福岡ヤフオクドームで、埼玉西武ライオンズ対福岡ソフトバンクホークスを観戦した。結果は2対1でライオンズが勝利し、元所沢市民の私は大いに溜飲下げたのだが、上着を着たとき胸ポケットに入れていた帰りの新幹線の切符がないことに気づいた。たぶんユニフォームに着替えたときに落としたのだろうが後の祭りだ、博多駅で5千円弱で片道切符を買うはめになった。なんたるドシ。
その後、帰路の車中で私は下掲のマンガを思いだしたのである。以下ツイッターから5つを転載(主語:ぼく → 私)。
- そういや昨日の野球観戦中、帰りの新幹線の切符を紛失したことに気づいたときに、ふと水島新司のマンガを思いだした。福岡ドームなら『あぶさん』だろうって?違うよ『野球狂の詩(うた)』だよ。私は野球を題材にしながらも庶民の人情を描く、初期の短篇群が好きだった。そこでさっそく本棚の奥を探してみた。
- 1974年発行『野球狂の詩』第4巻、第1話の「スチール100YEN」。貧乏な親子が野球に夢中な観客の懐中を失敬する掏摸の話だ。私の意識下に是枝裕和監督のカンヌ映画祭受賞作品『万引き家族』があったから思いだしたのだと思うけど、「家族と軽犯罪」以外とくに共通点はない。水島新司お得意の、野球にかこつけた人情話である。
- 掏摸の話は反社会的だろうか? 野球を冒とくしているだろうか?しかし「スチール100YEN」をけしからんと怒る読者は殆どいないと思う。他にも初期の『野球狂の詩』には、現在だと雑誌に掲載できないようなテーマがいくつもあるが、水島作品の根底にはヒューマニティーが溢れている。今ふり返るのも悪くない(しかし、今の目でみても絵に躍動感がある。運ぶ筆の勢いが違う)。
- 球場の客席には、いろんなタイプの人がいるじゃない?年齢も性別も職種も性格もさまざまな。けど、俗に「サイレントマジョリティ」と呼ばれる何万もの人びとが、球のゆくえに一喜一憂しているさまを見ていたら、自分も含めてだけど、人間ってホント「おもろかしい」存在だなと思ったんだ。
- そして思った、どうしたら抗う声をみんなに届けられるのだろうか、と。
私は是枝監督を反日呼ばわりし、『万引き家族』を国辱ものだとする、ネットウヨクたちの言説に我慢ならなかった。さいわいイタリア映画『自転車泥棒』を引き合いにした反論などが現れ、私もまた以下のようなしかつめらしい投稿をし、
『万引き』の題材を恥じる心性を批判したけれど、なんかちょっと違うな、とも感じた。
《いつから日本社会は、創作と現実の弁別がつかなくなったのだ?》
もちろん万引きは悪い。掏摸も悪い。でもね、『万引き家族』がパルムドールを受賞したとき私が真っ先に思い浮かべたのは中村文則の小説『掏摸』だった。軽犯罪をおかさざるを得ない者の視点から社会を描く、是枝監督の意図とも共通点がおおいにあると思う。
娯楽作品の中には、もっとカジュアルに悪人が描かれているではないか。『鼠小僧次郎吉』から『ルパン三世』にいたるまで盗っ人は庶民のヒーローだったはず。そりゃあ万引きは犯罪だ。罰せられる行為だ。が、だからこそ人の目を盗み、警固の網の目をくぐりぬけ、上手に頂戴する場面に、大衆は喝采を送る。
水島新司の『野球狂の詩』には、今となっては少年誌(初出:少年マガジン)に掲載できない内容のものが多い。選手の孫を誘拐して八百長を強要する話やらヤクザの親分が球場で抜刀して応援する話やら、タイトルに「乞食」を使うわ「くノ一」とも知らずにセクハラしまくるわ、NGのオンパレードである。
だから昔は良かった、表現の自由があった、と言いたいわけではない。むしろ人権に配慮するようになった現在のほうが社会のありようとしては望ましい。当の水島新司だって、今なら表現のモラルに配慮するだろう。
Twitterに〈若い女性にわざとぶつかる男性〉の動画がアップされているようなご時世である(#わざとぶつかる人 で検索してみるといい。酷いから)。父子が観客の懐を狙う画像はセンシティヴな問題があるかも、と思った。自分が不快でなくても、不快に思う人がいるかもしれない。それは不快に思った方の責任ではなく、不快な画像をアップした側の責任である。それゆえ私は上の画像を含めたツイートを削除することにした(どのみち反響は殆どなかったのだ)。
たぶん私が「スチール100YEN」を持ちこんで伝えたかったことは、こうだ。
- 軽犯罪を題材にした創作物は星の数ほどある。ネットウヨクの諸君にとって映画『万引き家族』のタイトルと国際的な評価は許しがたいものかもしれないが、そう目くじらをたてなさんな。
- 例えばこの「スチール100YEN」に描かれる掏摸の親子は野球を冒とくしているか?少年マンガの表現として相応しくなかったか?しいては高度成長期の日本社会を辱める内容であったか?
- 私はそうは思わない。なぜなら「スチール100YEN」に描かれているのは親子の情愛と世間の人情だ。さらに憎むべきは貧困であり真に必要なのは子どもへの教育だと問題提起もしている。
- 映画も小説もマンガも、表現の方法に違いはあるけれども、現実社会に訴える役割がフィクションにはあるという点では一致するところだから。
そんなことを私はTwitterに問いかけてみたかった。が、言葉たらずだった。ゆえに改めてMediumに記しておく次第です。
鰯 (Sardine) 2018/05/26